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我が街 高槻

2022.05.27

主人の仕事の関係で高槻市に住み始めてもうすぐ6年になります。
高槻と言えば…「はにわ」と「高山右近」が有名ですが、今日は高山右近について書いてみたいと思います。

戦国時代の時代劇などを見るとよく名前が出てくるのですが、キリシタン大名として有名な高槻城主でした。高槻城跡は今は城跡公園となっていて、阪急高槻市駅から徒歩10分の距離にあります。すぐ近くには高山右近記念聖堂として知られる、カトリック高槻教会があります。右近の時代には、高槻領民の72%がキリシタンであったというほど、熱心な布教が行われていたようです。
不思議なことにこの教会の2軒隣には「野見神社」という歴史ある神社があるのですが、右近の時代には冷遇されたのか、社殿取り壊しの上没収されたという史実があります…

 

フランシスコザビエルがキリスト教の布教の為、日本にやってきたのが1549年。その布教中にザビエルから教えを受けた日本人から洗礼を受けたという高山右近は、かなり早い段階で信仰を持ったようです。

異国の人や文化は当時の日本人たちの目にはどのように映ったのでしょうか。
好奇心旺盛な人ならば、宗教というよりは未来の便利な道具を操るマジシャンのように見えたかも知れませんね笑 実際にそのような珍しい物品を交易したい。という理由からキリスト教に入信する”にわか”の大名たちも多くいたようです。

しかし我が高槻城主の右近は違ったようです。時の政権が信長から秀吉、家康と変わるにつれ、キリスト教弾圧が厳しくなり、右近は信仰を捨てない代わりに高槻から追われ、明石に国替え、大名改易、小豆島に潜伏、金沢に移ります。そして最後は国外追放となりフィリピンへ。なんと劇的な人生でしょうか。
一国一城の主にまでなった人が、住む場所、身分を追われ、果ては国外追放になる…それでも自分の信じた道を棄てなかった高潔さに、ただただ畏敬の念を抱きます。

そして、右近の没後400年後の2016年にその功績をローマ教皇庁から認められ、「福者」という称号を与えられたそうです。何の縁もゆかりもないですが、高槻市民としては、何やら誇らしく嬉しく思います。

JR高槻の西側には江戸時代に宿場町だった「芥川宿」の余韻を残す町並みや芥川があり、川沿いには桜がきれいな「夢鯉ロード」があります。端午の節句時期には1000尾の鯉のぼりが空を埋め尽くします!
GWには毎年「高槻JAZZストリート」という大きなイベントがあり、50の会場で無料でJAZZが楽しめたり。摂津峡以外にもたくさん良いところがある街なのです。
皆さんの「我が街」はどんなところでしょうか。また聞いてみたいものです。

 

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